10月 272011
 

2011年10月26日(水)日本

まだ寒くない。
いける。
そう思うのはいつも10月の終わり。
そしてそう思うと思い出すのは、1995年のニューヨークのHalooweenの夜。
その夜も私は、映画を撮影していた。

ノースリーブの赤いドレスを着てヴィデオカメラをかついで撮影をしていた。
自分も出演をしてたから、衣装の赤いドレスを着ていた。
撮影の途中で、ハロウィーン・パレードの行列に出くわした。
日本から来たばかりの私には、そんなパレードがあることも、
私が撮影していた、Ave of Americas がパレードに占拠されてしまう
ことも全く知る余地もなかった。
パレードにぎゅうぎゅう押され、道も横断できなくなって予定と大幅にかわった
が、どうせだから、このパレードも撮影しちゃおうと、人とぶつかり合いながら
撮影を続けた。
人混みにまみれていたからか、
北海道と同じ緯度にある10月30日のニューヨークノ夜は、ノースリーブの夏用の
ドレスでも生存可能な気温だった。

ところが、翌日、11月1日になった途端アジア人で日本育ちの私には、肩から肌を
剥き出し状態にすることは不可能になった。

それ以来、11月からが寒さの始まり。
ハロウィーンの後に寒さがやってくると思うようになった。
そして、日本で「寒いな」と心細くなって時は、
「大丈夫。ニューヨークの寒さの中で暮らしてたんだから」
って思うようになった。

まあ、世界にはとんでもなく寒い所があるわけで、でもなぜか、世界のどんな
寒い所に行っても、ニューヨークの寒さで大丈夫だったから大丈夫と自分を励まし
ている自分に気づくのでした。

そろそろ、11月だ。
その前にハロウィーンだ。

なんで秋の終わりのニューヨークでノースリーブの赤いドレスを着て映画を撮って
いたかというと、その夏に日本で、同じ赤いドレスを着て
「R you?」という短編映画を撮ったからでした。

ニューヨークのコロンビア大学院の映画科に入るために、日本で脚本を書いて、友達のRYOUくんに出てもらって、私が監督とカメラをやって、20分の短編映画をつくりあげたのでした。

その続編をニューヨークで撮りたくなったというわけでした。

1995年の夏、ニューヨークに行く直前、多摩川の近くに住む友達のRYOUくんのマンションにみんなでとまりこんで撮影をしました。
RYOUくんには、多摩川でも泳いでもらったし、夜中の都庁に忍び込んで都庁の池でも泳いでもらった。赤と白と青の縦縞のビキニの海パンを履いたRYOUくんは、頼んだ所にはどこにでも飛び込んで泳いでくれた。

「R you?」は発音すると「Are you?」
題名が思いつかずRYOUくんの名前を分解したタイトルをつけました。…….

なんちゃって、ここまで書いきて、書いたことのどこが作り話で、どこが記憶の中の話かわからなくなっちゃった。

その夏つくっていた映画の脚本はどんどん変わり、どこに行き着くかも
わからず、RYOUくんだけでなく、私の撮影を手伝っていた友達は、みんな、一ヶ月以上、会社を休み、大学をさぼり、バイトをさぼり、今まで自分の証の一つだったものをどんどん失っていきました。

みんなで一緒に暮らして、みんな撮った映像から私がストーリーを捏造して、編集によってまたストーリーを改ざんし、出来上がった映画にはストーリーができていたけど、映画自体もどこからどこまでが本当なのか、わからなくなっていました。

映画ができあがって、みんなに見せないまま、編集を終えた朝の5時、中野のスタジオから、できたての映画を持った私は、RYOUくんたちに会うこtもなく、日本からニューヨークへと消えました。

私と一緒に、できあがった映画もなくなり、脚本もないわけなので、1995年の夏の私とRYOUくんと友達たちの夏の時間は、日本から消えたのでした。

Momoe Melon

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